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絵を描くことが転機となった円空仏 円空修復による大般若経 初期の丁寧な作風は、経験によって技もますます磨きがかかっていきました。そんな円空仏に転機が訪れたのは、おそらく1674年、三重県志摩市片田三蔵寺と立神薬師堂の『大般若経』を修復したときではないでしょうか。このとき円空は添絵の簡略化を修得しています。この添絵は、まさに円空の特徴である簡素でダイナミックな表現そのままです。絵の簡略化は彫刻にも影響を与え、円空仏はますます個性的になりました。同時に簡略化によって仏像製作のペースも早まり、彼の12万体作成を可能にしたのではないかと思われます。 |